Authorbluefish2017

ひとりっ子だからと言われたくない。ひとりっ子の意外な心理

私にはひとりっ子の悩みがいろいろとありました。

友達がいないと遊ぶ相手はいつも母親でしたし、家族でゲームをすればいつも負けて悔し泣き、いざとなればかばってくれる兄弟がいる友達がいつもうらやましかったのを覚えています。

いつもは友達と遊べますが、お正月やお盆の間などは大人の中にいました。

親戚のおじさんやおばさんも構ってはくれますが、何となく一人の時間も多かったような気がします。

そんな体験からすると、ひとりっ子の子供は大人の中にいることが多く、言葉や態度はいっちょ前のような気がしますが、いつもさみしく孤独を持っている気がします。

大人になって思えば、洋服は全て自分のものでお下がりはなく、お菓子を取り合うこともなく、親の愛情は独り占めでなんて幸せ者だったんだろうかと思いますが、子供の当時は、ひとりっ子のないものばかりを数えていました。

そんな子供の頃、よく聞いたのは「ひとりっ子はわがまま」です。

兄弟がいなくて欲しいものはなんでも買ってもらえる、やりたいことができるなどわがままし放題というイメージでしょうか?

果たして私がわがままかどうかは置いておいて、意外とわがままだけを言うことはできませんでした。

大人の中にいることが多いと先にお話ししましたが、大人の顔色をうかがうことが多かったので、今言っていいものか、後にした方がいいのか判断していたように思います。

意外と思われるかもしれませんが、兄弟がいない分、競って今言う必要がないので、あとで自分に都合がいい時に言おうと思うのです。

また、当たり前ですが兄弟ケンカなどはありません。

親と言い合うことはありますが、基本的には負けるので無駄な争いをしたいと思いません。

ですから、友達と言い争いになりそうなとき、または他の友達同士でケンカになりそうなときはそれを察知し、もめないように「まあまあ」と言う係りです。

調整するとか立派なものではなく、ただもめたら面倒だからという心理のような気がします。

思春期になるころには、今まで独り占めしてきたありがたい親の愛情を面倒臭く感じるようになりました。

家族三人での旅行も恥ずかしく、学校のことをいろいろ聞かれるのも嫌でした。

親の関心が私ひとりに集中するのがとにかく嫌でたまりませんでした。

もし、今自分のお子さんがひとりっ子で同じような態度をとっていたとしたら申し訳ないですが、今はそっと見守ってあげてください。

そんな冷たい態度がずっと続くことはなかなかありませんし、今まで大人に気を遣ってきた反動に過ぎないので、「そんな時期もあるさ」と思ってあげてください。

私自身の体験談のようになってしまいましたが、ひとりっ子は大人の顔色をうかがいながら意外と気を遣っていることはわかっていただきたいと思います。

また、ひとくくりに「ひとりっ子」と言っても多様な性格の持ち主がいますから、「ひとりっ子だから」と決めつけず、ひとりの子供として見ていただければと思います。

親の心配はいつも先回り。その先回りが失敗のもとになる理由

毎日お母さんの心配は尽きませんね。

「宿題は持った?忘れ物はない?」「念のために折り畳み傘を持っていって」
「今日の給食のメニューはカレーだから、万が一汚れてもいい洋服を着ていきなさい」

など、今日想定できる万が一のことを先回りして考えて、心配になり、子供に訊かせます。

そんなお母さんの気苦労を増やしていくとどうなるのでしょうか?

お母さんが朝言わなかったから傘を持っていかず、雨に濡れた。

お母さんが持っていきなさいと言わなかったから絵具の道具を忘れた。

お母さんが時間に声を掛けなかったから塾に間に合わなかった。お母さんが言わなかったから・・・。

子供は自分で決めることができなくなります。

忘れ物をしないためには前の晩に連絡帳を見る、朝の天気予報を見て着ていく洋服を決める、塾に間に合うためには何分に家を出ればいいのか考えるなど、自分で考えることは大人になっても生きていくために必要不可欠なことです。

それでも習字道具を忘れてしまったら、他のクラスの誰かに借りるとか、洋服にカレーが付いたら水で洗っておくとか、天気予報になくても黒い雨雲が迫ってきたら建物の中に避難するとか、生きていくすべはたくさんあり、失敗して学ぶ事ができます。

お母さんが心配のあまり、先回りして行う気苦労は、その学びのチャンスを奪ってしまいます。

母であれば、子供が辛い目や困ったことにならないように何とかしてあげたいと思うのが当然です。

いじめられたら助けてあげたいし、将来のためにはいい学校に進学してほしいと思います。

自分の子供の頃を思い出し、その経験から自分の子供には最短で楽なコースを行かせようとします。

経験からこっちの方が早いとか得だとかを考えて、子供にそうしなさいと提案というより指示したくなります。

ですが、子供が人生の岐路に立つ度に隣で「こっちだよ」と指示することはできません。

大人になって会社に一緒に行き「こっちのプロジェクトの方が出世が早いよ」などど教えることはできないでしょう。

それまでには子供だって成長しているし、今はまだ子供だからと思っていてはいけません。

子供の頃から、自分で判断することを体感していかないと大人になってからも自分で選べません。

小さい子供の頃のように小さな箱に入れて一生外の世界から守っていくことはできないのです。

親の言うことをよく聞くいい子の言い方を変えれば「親への依存」かもしれません。

そういった「親への依存」のまま、就職活動で思うような会社に就職できずにそのままフリーターになってしまう場合もあります。

そこが初めての挫折であれば立ち直れないこともあります。

お子さんが失敗しないように先回りの心配をするのであれば、「お母さんはこう思うけどあなたはどうする?」など、選択肢を与えることはどうでしょう?

あくまで考えて選ぶのは自分自身。
そうすれば「お母さんが言ってくれなかったから」と人任せな人生にはならないと思いますよ。

勉強が苦手な子どもがちょっとしたヒントで得意になる方法

「うちの子供は勉強が苦手で・・・」と思っている方に読んでもらいたくて書きました。

苦手な子供は勉強の楽しさを知らないだけなのです。「わかる」ことの楽しさを知ってしまえば,これからは無敵です。

どんどん勉強が好きになりますから最後まで読んでみてください。

ご自分のお子さんを客観的に見て国語の方が得意ですか?
それとも算数の方が得意ですか?

どちらが得意なお子さんもどちらかに偏りがあるとすると、まだ、勉強のコツをつかんでいません。

国語が得意なお子さんは文章を読み解くのが上手ですね?ならば算数の文章問題は理解しやすいはずです。

算数が得意なお子さんは「これとこれがあると=これ」と答えが明確なものを理解しやすいようですが、国語においては漢字の問題の答えは一つだけですし、文章題に関しても抜き出し問題などは答えはひとつです。

英語に関しても同様、穴埋め問題にはここには助動詞しか入らないなどきちんとした法則があります。

国語が得意なお子さんも算数が得意なお子さんもあと一歩、コツをつかめば両方が得意になります。

子供は「できた!」という達成感を味わうことで勉強が好きになります。

そしてこの達成感を一緒に喜んでくれる人がいるとその気持ちが倍増します。

そう、勉強への親の関わり方次第なのです。

ここまで読んで「なーんだ、勉強に付き合う時間もないし無理だ」と思った方もいるかと思います。

でも勉強している間、ずっと付き添わなくてもいいんです。

「ここまでできたら見せてね」と子供と約束して、その間は家事や仕事をしていてもいいので、できたときには目一杯褒めてあげましょう。

また、間違えたところはもう一度やらせて、悔しがるくらいだと勉強が好きになってきている証拠です。

また、机に向かっているときだけではなく、日常でも勉強好きになるチャンスは沢山あります。

駅名を覚えることが得意な子は難しい漢字も書けますし、おやじギャグ?やだじゃれが好きな子供は言葉遊びから学ぶことの楽しさを知っています。

その興味を国語や算数に関連付けて提案するだけで子供はのってきます。

作文が苦手な子供に多いのは、日常会話に接続詞がないことです。

「お母さん、トイレ」など、単語で通じてしまうため、いざ作文を書こうと思うと話し言葉になったり、適当なところで文章を区切ることができず、だらだらと羅列になってしまったりします。

日頃の何気ない会話から気を付けるようにするとすいぶんと作文が上手になります。

上手になると子供の中の苦手意識がなくなってきます。そこに褒められたりすればなお、勉強が好きになるでしょう。

ここでひとつ注意したいのは、漢字であれば100回ずつ書く、算数であれば計算ドリルをただやるのはお勧めできません。

手が疲れるだけでただの作業になってしまいがちです。時間もかかり、勉強した気になってしまいますが、面白いとは思わないでしょう。

勉強が苦手だという子供には、「できた!」という達成感を多く味あわせて学ぶことを楽しませることが大切です。

子どもは大人をどう見ているの?信頼されるのはどんな人?

子供から見た大人はどんな存在に映っているのでしょう?

子供の成長に沿って、幼少期、小学生、思春期それぞれにその映る姿は変わってくるようです。

まず、幼少期は親を含め保育園や幼稚園の先生など、子供にとっては自分を守ってくれる存在になります。

これがほしい、こうやってほしいなど要求すれば大体の大人はできる限り要求にこたえてくれます。

大きい声を出す大人には恐怖を感じるので身構えてしまうこともありますが、大体の大人は自分のために何かをしてくれる存在になります。

子供にとっては大人はなんでもできるスーパーマンです。

この頃に子供から信用される大人とは、自分の気持ちを察してくれる、話を優しく聞いてくれる、怖い者から守ってくれる大人になります。

小学生になると子供にとって一番身近な大人は、親か先生になります。

低学年のうちは先生は絶対で何があっても言うことを訊かなくてはならないと思っていますが、高学年になってくると、先生も間違えたり、誤ったことをするのだと分かるようになります。

それは親も含めてです。

この時期に子供から信頼されるのは、間違ったことをしたとしても正直に謝り、誠意がわかる大人です。

大人だって間違えることもある、だからと言ってごまかしたり、理不尽なことをすれば子供には信用されません。

裏表があれば子供にもわかります。それでは信用されません。

また、社会科を勉強していく中で、世の中にはいろいろな職業を担っている大人がいることがわかってきます。

警察官になりたい、パイロットになりたい、お花屋さんになりたい、はたまたアナウンサーになりたいなど、それぞれ大人になったらこうなりたいと夢を抱きます。

その憧れの職業についている大人はその子供にとって信用できる大人の代表なのかもしれません。

思春期の子供にもやはり、親や学校の先生、または塾の先生などが身近な大人の代表です。

また、体も言葉も成長していますのでまだまだ未熟でも大人と対等に考えるところがあります。

大人の様子を察し「機嫌が悪いから怒るんでしょ?」などと、大人を見透かしたような言い方をするときもあります。

この頃は、親や学校の先生以外にも親身になってくれて、悪いことをしたらきちんと叱ってくれる大人の存在が必要になります。

バイト先の先輩や社会人になっている知り合いなど、小学生の頃と違ってより現実的に身近な存在の大人に悩みを相談したりできるといいようです。

親には相談しにくいこと、先生にも言いにくいことをちょっと年上のお兄さん、お姉さんに相談することで悩みを解決することができることもあります。

幼いころは万能だと思っていた大人が、成長するにあたって自分と何ら変わらず失敗したり、間違ったりすることがわかり、同じような悩みを乗り越えてきたこと、ウソをつかないこと、これからも一緒に相談し合っていけることがわかる大人が、大きくなった子供にも信用される大人であると思います。

友達にわざと傷つけるような言葉を言うのはなぜ?

子供同士の口ケンカで馬鹿にしたり動物にたとえたりなど、わざと相手が傷つく言葉を投げつけるのはなぜでしょう?

小学生の子供であれば、だいたい見た目でわかりやすい容姿のことでオーバーな表現をしたり、できないことをわざと指摘したりします。

他人との違いをつっつくことで他人より自分が優位に立とうとします。

これは悪い子だからではなく、程度はあるものの多くの子供に見られる自然な気持ちで、問題はそれを言うか言わないかです。

他人と比べたがるのは何も子供に限ったことではありません。私の方が仕事ができるのに、私の方がスタイルがいいのに・・・この「いいのに」の後には、その人に負けているもしくは負けていると思われるような対偶を受けていると感じている表現が続きます。

これを言うか言わないかは別として、少なからずどんな大人も思ったことはあるでしょう。

大体の大人は、それを言ったからってどうしようもない場合、まず本人にわざわざ言うことはしないでしょう。

大体の人は、わざわざ相手を傷つけても人間関係が難しくなるのは面倒だし、他の人にひがみと思われるかも知れないので、そう思っても言いません。

子供の場合、そういった世間体は関係ありませんし、後先をあまり考えず、自分にはかなわないことがある相手をわざと傷つけ、負かすためにそのままの表現を本人に言ったりします。またはその友達より優位に立つために言い負かそうとします。

とてもいじわるで悪い子供のようですが、その子供の中にもフラストレーションがたまっているのが原因のひとつと考えられます。

いつも満たされていて、他人と比べる必要があまりない子供は他人とのトラブルをわざわざ自分から作るようなことはしません。

自分に自信があるわけではないのですが、何かがあっても必ず味方になってくれる存在を持っているので、他人と比べて落ち込むことはあっても攻撃しようとはしません。

反対にわざと他人を傷つける言葉を言う子供は、いつも誰かと比べていないと安心することができません。

見た目の多少の違いや行動が遅いなど、わかりやすいところを見つけて攻撃します。

攻撃された方はたまったものではないですが、そうしないと自分の位置が分からなくなっているのかもしれません。

もちろん、そこまで深刻ではない場合もあります。

「逆にそう言われたらどう思う?」など一緒に考えさせることでやめる子供もたくさんいます。

口より先に手が出る子供の場合の対処と同じで、自分自身の身に起きたらと位置を換えるだけで他人の気持ちを思いやることができるようになります。

それでも難しい場合はその子供自身が満たされるような対応をしてみましょう。

今の自分で大丈夫、誰からも劣っていることはない、比べるものではない大切な存在であることを伝えてみましょう。

親にとって大事な存在であることを知って嫌になる子供はいません。いつ何があったとしても味方であることを伝えましょう。

なぜ言葉よりも先に手が出てしまうの?子供のトラブル

子供が小さいときのお友達とのトラブル1位は、何と言っても口よりも手が出てしまうことです。

「○○ちゃんがぶったー」などどお友達に言われてしまうと、とにかく謝るしかありません。

たたく、ける、かみつくなどは小さい子供のケンカでありがちなのですが、だいたい同じ子供だったりしませんか?どうして手が先に出てしまうのでしょうか?

幼稚園などでは4月生まれの子供と翌年の3月生まれの子供ではほぼ一年違うので、体つきだけでなく言葉のボキャブラリーや表現方法は格段に違います。

また、上に兄弟がいるかいないかでも会話力に差が出ます。もちろん、成長は子供それぞれですが、大人の一歳とは違い、この頃の一歳の差はかなりあります。

おむつもとれないまま入園してくる子供もたくさんいますから幼稚園の入園時はてんやわんやです。

子供に限らず、他人が軽々できて、自分ができないことがあるととてもストレスを感じます。

それでも大人はできないことをどうやったらできるようになるか考えたり、努力したりして克服すること、または諦めることを学びますが、この頃の子供はなぜ自分にはできないのか?を考えることができません。

おもちゃを取り合いになって子どもなりな理屈でまくしたてられると、反論できる言葉が追い付かなくて相手をたたいたり、噛みついたりして、嫌だという自己表現をします。

その手段しかその子供には持ち合わせがないのです。

いつも同じ子供がこういった困った行為をすることが多いのですが、よく思わない大人からは「家で親に同じことをされているんじゃないかしら?」と安易に虐待を疑われてしまうことがあります。

ですが、いつもされているから他人に同じことをするのではなく、逆にされる方の経験がないからたたいたり、噛んだりしてしまう場合が多いです。

兄弟がいない、または離れているなど家族間でもケンカをすることがなく、いわゆる「甘噛み」を知らないために、どのくらいの強さでたたくと痛いのか?加減がわかりません。

いつも取っ組み合いのケンカをしているなど、家庭でのもめごとの経験値があると加減を心得ているものです。

ただし、相手が力のあるお兄さんの場合同じような加減でお友達ともめると困りますが。

また、日頃は言い合いをすることが少ない場合も考えられます。

兄弟がいなくても周りの同年代のお友達とよく遊ぶなど、もめることの経験値が少ない子供の表現方法が噛みつくなどの困った行為になることもあります。

解決方法としてまずは、たたかれたら痛いこととたたかれたらどう思うかを考えさせましょう。

「自分がされて嫌なことはお友達も一緒だよ」と教えます。

また、「どう言ったらお友達に嫌だっていうことをわかってもらえるかな?」「どうしたら一緒に遊べるかな?」と考える時間を作りましょう。

その場ではカッとなってわからないことでも後で考えれば解決策が出てくるものです。

お友達に手をあげることはいけないこと、自分の気持ちは言葉で相手に伝えることを根気よく教えましょう。

この2つを徹底して教えればこの困った行為はなくすことができるでしょう。

友達との関係の中にある子供の別世界をのぞいてみましょう

我が子が友達と一緒にいるところを見かけると、家で見せる姿とは違って見えることはありませんか?

「学校では意外とこういうキャラなの?」と思うことがありませんか?

子供の世界では多少のギャップの違いはあれど、親が知っている顔とは違った顔を持っています。

これは決して二面性を持っているからではなく、子供なりに適合していっているからです。

大人でも「この人はこういう人」という枠に当てはめたところで、会社では違ったり、本当に気の知れた仲間同士ではまた違ったり、好意を持っている相手の前ではまた違う一面を見せるものです。

悪い例でお話しすると、何らかの事件を起こした加害者のことを知っている人がインタビューで「そんなことをする人だとは信じられない」と言っているのをよく耳にしますが、これも大きく見れば同じことです。

人はそれぞれ環境に応じて自分の性格や立ち位置を判断して変化させています。

これは決して多重人格なのではなく、
どれもまぎれもない自分自身です。

家ではわがままで気が強い性格と思われている子供でも、それより強力な我の強い子供が学校に何人もいれば必然的におとなし目になります。

家ではおっとりした子供も、みんながおっとりした中にいれば少しはしっかりしたりします。

まれにどんな環境でもあまり変わらない人もいますが、ほとんどの人は自分を取り巻く環境に対応しているのです。

子供も同じで、家での甘えた態度のままで学校にいられるはずもなく、意外としっかりしていたり、またはおとなしかったり、意外とリーダー的な存在になっていたりします。

面談等で先生から学校での様子を聞くと家では見せない意外な一面に驚くことがあります。

反対に先生は家庭での様子を訊きた
がります。

お母さんのお手伝いをしていたり、甘えん坊だったり、兄弟の面倒をよく見ていたり、そういった一面は学校では見えないので、本人が話さない限りわかりません。

先生が知らない家庭での子供の顔も間違いなくその子供の姿ですから、子供を本当に理解するためには両方を知らなくてはなりません。

だから学校の先生は家での子供の様子を訊きたがります。

我が子かわいさに「いい子」を装って先生にお話ししてはいけませんよ。

子供同志の関係でも、走るのが速かったり運動ができる、いつもテストで上位の成績をとる子供はあこがれられたり一目置かれる存在になりますし、力が強かったり、言葉が達者で皆を言負かす子供はいつもクラスの中心だったりします。

そうでない子供はケンカをしたことがなくてもなぜか、あいつにはかなわないとはじめから決めてかかって言い返せなかったりします。

大人同志も思い当たることが多々ありますね。

いろんな一面を持つことは正常なことと言えます。

どんな子供または大人でも同じことで、これは調子よくいろんなところで考えや意見を変えることとは違います。

子供の世界にも大人と同様にいろんなことがあります。

特に困ったことでなければ子供の世界で見せる一面も大切に見守っていきましょう。

しつこく聞くとウザがられる?難しい年頃の子どもの付き合い方

小さいときは今日あった出来事を何でも話してくれていたのに、思春期になると何も話してくれないか、もしくは「普通」としか言わない、なんてお母さんの声をよく聞きます。

機嫌も悪いし、心配のあまり根掘り葉掘り聞くと余計にウザがられて会話もない、そんな状態に悩んでいるお母さんはいませんか?

そのお子さんはちゃんと成長していますよ!と私は答えています。体だけでなく心が成長していっている家庭なのですから過度な心配はいりません。

子供たちは、毎日学校で自分の意志に反することと戦っています。

授業開始時間には授業の準備をして、体育が面倒な日にも運動をし、家ではあまりやらない掃除をさせられ、部活動では先輩には従わなくてはならない、親以外の大人に怒られ、家に帰っても塾でも勉強しないといけない。

学生だから当たり前のことと言えばそれまでですが、毎日自分のやりたいことだけをやることはできません。

そういう私も子供の頃は、早く「学校」と名のつくものから卒業して自由になりたいと思っていました。

思春期とは言っても子どもは子供ですから、今日褒められてうれしかったことや面白かったことは誰かに話したいと思うので、家で興奮気味に話すこともあるでしょう。

ですが、反対に嫌だったことや腹が立ったことなどを話すときは、大人でも説明するのが面倒臭いことがありませんか?

自分が不当だと感じたことを話す相手は、共感してくれることがわかっている相手であることがほとんどです。

誰でも自分が話した内容を必ずと言っていいほど否定してくる相手には、どうせ自分のことなどわかってくれないと感じて心の内を話しません。

もちろん、子供の話を必ず否定しようと思っている親はいないと思いますが、「あなたがこうしたらよかったんじゃないの?」など正論と思われることであっても、子供が否定と感じれば同じことです。

また、子供の問題に親が直接行動を起こし、解決することを子供は嫌がります。

「お母さんが学校に電話してあげる」などもってのほかです。もちろん問題の大きさにもよりますが、子供にしてみればやってもらって迷惑極まりない事態です。

子供はそういった誰かに解決してほしいとかではなく、ただ共感してくれる相手に相談したいと思っています。

思春期の子供がその日の出来事を洗いざらい話さなくなったのは、その話をして共感してくれる相手が親だけでなく、友達だったり先生だったり他にもできたということです。

本当に毎日何もない「普通」な日が続いているわけではありませんし、もしかしたら好きな子がいるかもしれません。

ちょっとさみしい気持ちがするかもしれませんが、子供なりに成長してきている証拠だと思います。

子供は成長によって変化したのですから、私たち親も変化しなければなりません。

今までと同じように接していては合わなくなってくるのは当たり前です。

これからもっともっと成長していくと、いつでも心配してくれている親の有難さを感じ、逆にいろいろと親を心配してくれるようになるかもしれませんよ。

言葉に頼らないで子どもの考えていることを見抜く方法

子供の様子がなんとなくいつもとは違うかな?と感じることはありませんか?

「調子が悪いの?」とか「何かあったの?」と聞いても「何もないよ」との返事でも、その直感は当たっていることがあります。

だからといって何か困ったことがあったり悩んでいることがあるというばかりではありません。

ただ何かを考えているだけに過ぎない場合もありますから、あまり過敏に考えず、よく子供の様子を観察することが肝心です。

子供の言葉の表現力は未熟ですが、大人と同じように辛いことや楽しいことなどは同様にあります。

ただその喜怒哀楽を表現するためのすべがまだ少ないだけです。

ですから、「何かあったの?」の問いには上手く自分の感情を当てはめることができない場合があります。

その分かえって大人よりわかりやすい態度や行動に出ます。ボーっとしたり、つまらなそうな態度をとったり、体や表情に必ず出ます。

そういったときは、当たり障りのない話題や子供の興味のある話題を持ち出し、様子を探る手もあります。

子供が面白いと感じる話題から何を考えているかをたどたどしくも話し始めるきっかけがつかめるかもしれません。

過去に家族で行った旅行や小学生なら幼稚園で楽しかったことなどを話題に持ち出すのもお勧めです。

子供のことだけでなく、「お母さんが子供の時ね・・・」など私たち自身の子供の頃の体験や感じたことを子供に伝えると、「お母さんやお父さんも自分と一緒だったんだ」と共感でき、今の気持ちを話せるかもしれません。

ただ、中学生以上の思春期になるとその戦法では対応できなくなることでしょう。

根ほり葉ほり聞いたり、どうでもよい話題を親からされるとかえって返答するのが面倒臭くなり、口を閉ざすことがあります。

食事がいつもより進まない、ひとりで部屋にこもりたがる、学校でのことを話したがらない、もしくは学校の様子を「普通」としか言わない、などがあると、人間関係がうまくいっていないか勉強が追い付かないなどが考えられます。

もしくは恋をしている?とか。
後者の違いは子供の感情の浮き沈みで判断することもできます。

誰でも好きな異性がいればうきうきしたり、落ち込んだりすることもありますよね。

前者の場合、学校の勉強についていけていないのであれば、面談や日頃のテストからも一目瞭然でしょうから、あとは何とか目標を見つけて乗り越えていけるようにバックアップするしかありません。

厄介なのは人間関係のトラブルです。思春期になってくると子供たちの世界になかなか親が介入するのは難しいので、どんなトラブルになっているのか解明できません。

よっぽどのことがない限り、子供が自分自身で解決できるよう後押しすることしかできません。

世の中を生きていく以上、何らかの人間関係のトラブルはつきものですから、悩みが深くなる前に様子の変化を察知するのが肝心です。

やはり、子供の様子が何となくいつもと違うかな?と感じたときは問題の大小はあれど子供の心の中にいつもはない感情があると思って、対処しましょう。

子どもは自分の気持ちを上手く伝えられない

忙しいときに限って「ねえねえ、あのね・・・」と子供が話しかけてくることがありませんか?

子供の話を聴いてあげなきゃと、夕飯の支度の途中や洗濯物をたたんでいる途中、手を休めてよくよく聴いてみると、子供の話はまとまらず、結局何が言いたかったの?ということがままあります。

聴いてほしいことがあるのに、どうして子供は自分の気持ちを上手く伝えることができないのでしょうか?

子供の頭の中には確かに「今日のこの場面の自分の気持ちを話したい」という思いがあります。

それを説明しようと思っても、上手く構成してその状況を見ていない人にもわかりやすく表現する方法を知りません。

子供だから、と言えばそれまでですが、大人との違いは経験値、文章を読む回数がまだ少ないことが原因のひとつです。

現に絵本を含め、本をよく読む、もしくは親が読み聞かせている家庭の子供は、早い時期から大人とある意味対等に話ができることが多いものです。

日頃からお話の「起承転結」を身近に学んで自然と身に着けていると思われます。

この方法が身についていないと、「今日のこの場面の自分の気持ちを話したい」と思っても、「えーとね、えーとね・・・」と順番も思いつくまま、羅列で話していくため、自分自身でも何を聴いてほしかったのかを忘れてしまいます。

余談ですが、忙しいときに限って話しかけてくるときの子供の心理としては、忙しくしている親を見て、無意識のうちに自分に関心を持ってほしいと思っています。

とっさに思い出した話ですから、別に緊急性がある話ではなく、「今どうしても話しておかないといけない話題ではない」のがほとんどです。

ただ、話の内容はそうとしても、構ってほしいという気持ちの表れではありますから、イライラする気持ちを抑えて、子供の話を聴いてあげましょう。なかなかできないですが。

本題に戻り、「なぜ子供は自分の気持ちを上手く伝えられないのか」はお話の中に「起承転結」が用いられないからと、もう一つは今の自分の気持ちが言葉で表すとどういう表現がピッタリなのか知らないということがあります。

これもまた、よく本を読むことで養われますが、日常の生活の中で実際に体験することで学ぶことができます。

欲しいおもちゃを買ってもらえなくて泣いているとき、いや泣いている最中は考えられないかもしれませんから、落ち着いてから「どういう気持ちだった?かなしかった?くやしかった?」といくつか感情の表現の選択肢を与えます。

友達が引っ越しでもうあえなくなってしまうとき、失くしたと思っていた大切なおもちゃが見つかった時、だっこしてもらえたときなど、そのときどんな気持ちだったかを訊くのです。

それで子供の気持ちが=になってだんだんと自分の気持ちが表現できるようになります。

なぜ、「この子は自分の気持ちを上手く伝えられないんだろう」と思うなら、原因は親である私たちにもあるということです。

絵本を読み聞かせ、子供が今どんな気持ちなのか寄り添っていくことで、子ども自身が気持ちを表現することを習得できるように手助けしていきましょう。

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