小さいときは今日あった出来事を何でも話してくれていたのに、思春期になると何も話してくれないか、もしくは「普通」としか言わない、なんてお母さんの声をよく聞きます。

機嫌も悪いし、心配のあまり根掘り葉掘り聞くと余計にウザがられて会話もない、そんな状態に悩んでいるお母さんはいませんか?

そのお子さんはちゃんと成長していますよ!と私は答えています。体だけでなく心が成長していっている家庭なのですから過度な心配はいりません。

子供たちは、毎日学校で自分の意志に反することと戦っています。

授業開始時間には授業の準備をして、体育が面倒な日にも運動をし、家ではあまりやらない掃除をさせられ、部活動では先輩には従わなくてはならない、親以外の大人に怒られ、家に帰っても塾でも勉強しないといけない。

学生だから当たり前のことと言えばそれまでですが、毎日自分のやりたいことだけをやることはできません。

そういう私も子供の頃は、早く「学校」と名のつくものから卒業して自由になりたいと思っていました。

思春期とは言っても子どもは子供ですから、今日褒められてうれしかったことや面白かったことは誰かに話したいと思うので、家で興奮気味に話すこともあるでしょう。

ですが、反対に嫌だったことや腹が立ったことなどを話すときは、大人でも説明するのが面倒臭いことがありませんか?

自分が不当だと感じたことを話す相手は、共感してくれることがわかっている相手であることがほとんどです。

誰でも自分が話した内容を必ずと言っていいほど否定してくる相手には、どうせ自分のことなどわかってくれないと感じて心の内を話しません。

もちろん、子供の話を必ず否定しようと思っている親はいないと思いますが、「あなたがこうしたらよかったんじゃないの?」など正論と思われることであっても、子供が否定と感じれば同じことです。

また、子供の問題に親が直接行動を起こし、解決することを子供は嫌がります。

「お母さんが学校に電話してあげる」などもってのほかです。もちろん問題の大きさにもよりますが、子供にしてみればやってもらって迷惑極まりない事態です。

子供はそういった誰かに解決してほしいとかではなく、ただ共感してくれる相手に相談したいと思っています。

思春期の子供がその日の出来事を洗いざらい話さなくなったのは、その話をして共感してくれる相手が親だけでなく、友達だったり先生だったり他にもできたということです。

本当に毎日何もない「普通」な日が続いているわけではありませんし、もしかしたら好きな子がいるかもしれません。

ちょっとさみしい気持ちがするかもしれませんが、子供なりに成長してきている証拠だと思います。

子供は成長によって変化したのですから、私たち親も変化しなければなりません。

今までと同じように接していては合わなくなってくるのは当たり前です。

これからもっともっと成長していくと、いつでも心配してくれている親の有難さを感じ、逆にいろいろと親を心配してくれるようになるかもしれませんよ。