Month2月 2015

ちょっとしたヒントからわかる子供の心理

子供ながらにイライラしている、いじわるなことを次々と言う、体に不調はないのに元気がないなどがわかります。

大したことがなく、すぐに忘れてしまうようなこともありますが、その後重大なことに発展することもありますから、親としては放ってはおけませんよね。

子供は、大人のように場の雰囲気に合わせたり、他人に気を遣って行動したりはしませんから、自分の機嫌に関して隠そうとはしません。

ですから大抵の場合、非常にわかりやすいものです。

それでも表情にあまり変化がない、自分をあまり出せない子供もいますから、私は「目」を見るようにしています。

「なんだ」と思われる方もいるかもしれませんが、子供の場合は特に「目がものを言う」のです。

子供は自分の話を聴いてほしい、自分に関心をもってほしいと思って話すと、視線を相手の目からずっと話しません。

目を見開き、きらきら?ぎらぎら?させながら自分の話したいことを話します。

かたや、相手にどう思われているかわからない、自信がないことに関しては視線をあまり合わせようとしません。

質問を聞くときはこちらの目を見ても答えるときには視線をそらせます。

これは自分の回答に対する相手の反応が怖かったり、自信がない現われです。

「このおもちゃは誰が遊んでいたの?お片づけしましょう」と言うと、遊んでいなかった子供は一生懸命になって「ぼくじゃないよ」とまっすぐ目を見て言います。

「さっき遊んでいたけど、ぼくだけじゃなかった」など心当たりがある子供は「ぼくじゃないよ」と言いつつ、視線を合わせません。

目は本当にわかりやすい子供の気持ちの表れだと思います。

大人になると自分の感情をわざと表さないようにできたりしますが、子供ではまだその訓練はできていないのでわかりやすいと思います。

また、小さい子供でも「○○ちゃんはいいなあ」とうらやましいと思う気持ちがあります。

他の子供がほめられていれば見ていますし、かわいい筆箱や鉛筆を自分もほしいなあとじっと見ます。

好きな食べ物を見たときには目を見開きますし、嫌いな食べ物のときも見なきゃいいのにじっとにらみます。

消えてなくなっちゃえというように。
かなしいときには瞳の色が暗い感じがします。医学的根拠はありませんが。

心配事があるときには、あまりまばたきをせず、下のほうのどこか一点を見ているような気がします。

友達とケンカしてきたかなと思うときは目つきが鬼気としていますし、好きな子と会ったときは、キラキラと星が飛んでいそうです。

私の経験からすると、表情の変化が少ない子供でも目には感情が出ていると思います。

それは小さい子供に限らず、思春期の子供も一緒です。表情は隠そうとしても目には表れています。

よほど訓練された大人か、詐欺師でなければ目に表れる感情は隠せない
ので、大人でも目を見て試してみてください。

でも、子供の目は本当にわかりやすいですよ。ぜひ注目してみてくださいね。

子どもが成長したから親が変わらないといけないことリスト

子供は幼少期から思春期へ変化します。それまでと全く違う様子になることも珍しくありません。

幼いころは、親のいうことを何でも聞くいい子だったのに、今では何も話さなくなっていつも機嫌が悪い、なんてことは本当によくあります。

この「変化」は誰にでも起こり、成長過程の上で仕方のない、避けることのできないものです。

変化の度合いはそれぞれなので、あまり変化を感じられない子供もいれば、わかりやすいぐらい顕著な子供もいます。

その差はあるものの、この変化なしに大人への「変化」もないので、当たり前のことなのです。

この変化の時期は中学生からだと思っていませんか?実は小学校の高学年からだという説があります。

確かに高学年ぐらいから「あれ?」と些細なことかもしれませんが、今までとの違いを感じる子供がいました。

学校の外で偶然出会ったときに、今までであったなら「○○ちゃん、元気?」と声をかけるとうれしそうに答えてくれていたのに、なんだかはずかしそうに答えたり、気がつかなかったふりをしたりします。

このときあたりにこの子供は変化してきていたのかもしれません。

中学生になって部活に入ると、今までの小学生と違い、子供の世界がぐっと広がります。

今までは親にも見渡せていた子供の世界が突然見えにくくなります。

このときに子供は変化しているので、親がそのままの対応をしていてはかみ合わなくなるのは当然です。

子供が変化しているのですから、親も変化しなくてはいけません。

親が変化したいことをリストにしました。

1.親が決めず何でも子供自身で考え決めさせる。

この切り替えは急には難しいかもしれません。

子供の世界が見えなくなってしまったことで余計に心配になり、あれこれ先回りして子供の代わりに準備してしまうかもしれませんが、そこは我慢です。

忘れ物をしようが、遅刻しようが、子供に任せます。

一度忘れ物をして困れば、次は忘れないようにしようと準備するはずですし、遅刻して先生に怒られれば次からは遅刻しないように家を早く出る努力をするでしょう。

自分のことは自分でする、当たり前のことですが、ちょうどいい変化の時期なので、子供に任せるようにしましょう。

2.あれこれ聞くのをやめる。

心配のあまり、今日の学校での出来事などを、根掘り葉掘り聞きたくなる気持ちはわかりますが、変化した子供の方からすると、これが一番面倒くさいのだそうです。

よっぽど大変なことやよかったことはちゃんと話すので、放っておいてほしいそうです。

普段と様子も変わらないようでしたら、何も話さないのは何も心配なことがないのだと判断しても大丈夫でしょう。

3.子供をひとりの大人扱いする。

体は大きくなっても心はまだまだ子供ですが、変化した子供の方はいっぱしのつもりでいます。

親もあなたと一緒なんだと伝え、できれば頼りにしてみましょう。

家の仕事を頼んだり、ちょっとした相談をしてみるのもいいかもしれません。

親の助けにもなるんだと思ってくれれば大丈夫です。

親も万能ではないことをあえて認めてしまいましょう。

今回は親の変化を3つあげましたが、
子供の変化に合わせて親も変化することができれば、次の大人への変化のときにもスムーズに関係ができることは明らかです。

幼い時期の子どもにあげたいプレゼント

幼い時期の子供にぜひあげたいプレゼントがあります。

それは「お母さん、お父さんはあなたのことが大好きだよ」という愛情です。

この時期の子供にとっては親が絶対的な存在で、一緒にいれば大丈夫と無意識のうちに感じています。

いつでも自分を楽しませてくれて、守ってくれる、お父さんとお母さんが大好きですし、ずっと一緒にいたいと思います。

「愛情をあげる」と言っても特別なことをする必要はありません。

よく抱っこをするなどのスキンシップや
寝る前に絵本を読み聞かせるとか、公園で遊ぶとか、日常にできることでいいのです。

その都度に、「お母さんとお父さんはあなたのことが大好きだよ」と伝え続けてください。

何があっても大丈夫、嫌いになったりすることなんて絶対ないし、いつも守ってあげる、お父さんとお母さんにとって、とても大事な存在なんだということを繰り返し伝えます。

言葉で伝えるのはちょっと恥ずかしいかもしれませんが、この時期にはぜひ言葉で伝えてあげてください。

それが親からの大切なプレゼントです。

この時期にたくさんのこの愛情のプレゼントを受け取った子供は、自分の存在価値に自信を持ち、その後に誰にでも訪れる逆境にも耐え得る心を持つことができます。

確かな愛情を感じていたからこそ、つらいことや苦しいことに直面したときでも、乗り越えていく力が育ちます。

学校でつらいことがあっても、家に帰ってくればおかあさんがいるから大丈夫、必ず自分の味方になってくれるから大丈夫と思うのです。

子供に限らず、人は必ず自分の味方になってくれる存在があると強くなれます。

自分のことを気にかけ、いつも見ていてくれる親がいることが何よりの強みです。

逆に、学校に行けなくなったり、自分の存在価値を見出せない子供は、この幼少期に親からのプレゼントを本人が必要と思うほどはもらえていなかったのではないかと思います。

もちろん大切に育てられてきたとは思いますが、その子供に幼いときのことを聞いてみると、いつも兄弟と比べられていて嫌だったとか、親に遊んでもらった記憶があまりないと言います。

実際には遊んでいたのかもしれないし、いつもいつもお兄さんやお姉さんと比べていたわけではないと思います。

ただ、受けていた子供はそう感じていて、その記憶が鮮明に残っているということは、その子供にとっては重大なことであったと思います。

その子供によって本当はもらいたかっ
たプレゼントの量が違うようです。

親としては兄弟に平等にあげていたと思っていても、受け取っていた子供本人にとってはまだまだ足りていなかったのかもしれません。

もしも、幼い時期に十分すぎるくらいの愛情のプレゼントをあげられなかったのかもしれないと思うような出来事があったなら、今からでもプレゼントをあげても遅くありません。

幼少期のように抱っこするのは無理でも、「いつでもあなたの味方だよ」と伝えることはできます。

外で何があっても家に帰ってくれば大丈夫、いつも見守っていることを伝えましょう。

「小さいときのことで覚えていることは何かある?」と子供に聞いてみるといいと思いますよ。

しつけと罰の違いを子どもはちゃんとわかります

毎日のようにニュースで知らされる、しつけで亡くなる子供たち、あの子供たちの親が「しつけ」と言い訳する行為はただの虐待です。

食事をこぼしたから、排泄でそそうをしたから、子供であれば当たり前にする失敗に対して罰を与えたのです。

それも決して子供のためではなく、失敗を片付ける、掃除するのが面倒でカッとなり、手を上げました。

子供にとって大人は大きくて怖い存在です。

その怖い人に「お前が悪いことをしたから罰を与える」と言われ続け、自分は駄目な人間だ、罰を与えられて当たり前だと思わせられます。

だから、子供は他の大人に訴えることも相談することもできません。

ニュースになるまで誰も助けてあげられなかったことがかわいそうで仕方ありません。

そもそも「しつけ」と「罰」の違いはなんでしょうか?

しつけとは、社会で生きていけるように規律や礼儀作法などができるように訓練することです。

あいさつをするように教えること、門限を守らせることなどがしつけになると思います。

一方の罰は道徳などに違反した場合に本人にとって不当かつ不快な扱いをすることです。

犯罪を起こして逮捕され刑務所に服役するなどが罰になります。

裁判官でもない限りは人を裁くことはできませんから、通常個人的に誰かに罰を与えることはないように思います。

あなたはもちろん虐待なんてしていないと思いますが、子供を叱っているとき、これは「しつけ」だと自信をもって言えますか?

決して「罰」ではないと言えますか?
こちら側から言えば「しつけ」だと思うことも、受けている子供の方からみたらどうでしょう?

「しつけ」だと思っているでしょうか?
私は、叱られている側が「どうしていけないことなのか?」をきちんと理解することができるような叱り方が「しつけ」だと思います。

なぜ怒られているのか?子ども自身が納得のいく叱り方をするように心がけています。

ときには、怒りのあまり感情的になってしまい、説明している言葉が子供にわかりにくい表現になっていたり、理論的ではないと、途中で気がつくことがあります。

ことによっては手を上げることもありますが、怒りに任せて手あげることにならないように気をつけています。

受けている子供が、怖さで叱られた事実だけが心に残ることのないようにするためです。

叱られたことだけ覚えていられても仕方がありません。

どうして叱られたのか?これからはどうしたらいいのか?を考えてほしいものです。

昔から観られている国民的なアニメでも「罰としておやつは抜きよ」という台詞がよく出てきます。

子供がやってしまったことへの「罰」なのでしょうが、受けている子供の方はそれで懲りている様子は全くありません。

つぎつぎといろんな叱られる原因を作り出します。

もちろん、そういった「罰」を与えてもまた繰り返すことが題材のアニメではありませんが、大人になってから観なおすと、子供の心理がよくわかってなるほどと思います。

叱られている子供の方が、親が愛情をもって叱ってくれていると思うような「しつけ」をしましょう。

親の思う通りにはならない。子どもは別の生き物

幼稚園や小学校の低学年までは比較的親のいうことをよく聞いていたのに、最近は全く聞いてくれない、となげくお母さんがたくさんいます。

親とは別の人格で生まれてくるので親の思い通りにならないのは当然なのです。

それでも幼いときまでは、お父さんやお母さんのいうことが子供の全てでしたから、素直に親の言いなりになっていました。

それが、成長して周りの世界が広がってくると、自我が目覚め、親と同じことや親に決められたことばかりをするのを嫌がります。

いくらお母さんがバレエを習わせたくてお教室に入れても、本人がつまらないと思えば続けることはできません。

せっかく必要なグッズも買ったのに、と思っているのもつかの間、ダンス教室にお友達と通いたいと言い出し、「今度はちゃんと続けるのよ」と約束したのに、また行きたくないと言い出してついにダンス教室もやめてしまった親子がいました。

子供がやめたいといえばやめさせるという、やや甘めな親ではありますが、お母さんが子供のときにバレエを習いたかったけれど叶わなかったこと、ダンスも続くのかな?との心配が適中してやっぱりやめてしまうこと、どちらも親の気持ちと子供の気持ちがすれ違っています。

中学校に入学して初めての部活選びの際には、「あなたは運動オンチだから美術部にしておきなさい」という親と、「バドミントン部に入りたい」という子供がいました。

結局親の思うとおりにはならず、(中学生なので当たり前と言えば当たり前ですが)バドミントン部に入部しましたが、なかなか上達せず、レギュラー入りはできません。

子供だってバドミントンが上手になって試合に出られることを夢に見て入部したに違いありません。

自分で体験して得た結果がどうであろうと、自分で決めたことですから納得がいくことになります。

もし、本当はバドミントン部に入りたかったのに、親の言うとおりに美術部に入っていたら、それなりに頑張っていい作品を作るかもしれませんが、自分で選んだわけではないので後悔が残ることでしょう。

何でも自分で決めたことには、たとえどんな結果になっても納得できますが、他人によって選ばれたことには結果が悪ければその他人のせいだと思ってしまいます。

私たち親は自分の子供には輝かしい未来が約束されていると思っています。

ですから、挫折しそうな、失敗しそうな事柄にははじめから関わらないように子供に回避させようとします。

親はこれまでの経験値や子供の素質から、「こうしたほうがいいよ」と提案するのですが、子供は経験していることではないので実感できず、「そらみたことか」という失敗をします。

親は子供を心配するあまり、何でも最短コースで楽なコースを提案します。

そっちのほうがお得だと思うからです。

でも子供には子供でやりたいことがあり、または心配されるようなことにはならず、成功するかもしれないと希望も持っているので親のいうことだけでは聞けないわけです。

いいことも悪いことも、子どもは親の鏡

朝、見支度をしていると女の子だったら鏡の前でお化粧をしている真似をしていることがありませんか?

幼い女の子にとってお母さんは憧れの存在で、「大きくなったらお母さんみたいになりたい」と、ほとんどの女の子が思います。

一方、男の子は「お母さんと結婚したい」と思う子が多いでしょうか。

お母さんの真似をするのは何も姿かたちだけではありません。

ご近所の人に対していつも明るく挨拶するお母さんのお子さんは、間違いなくちゃんと挨拶をします。

お母さんと一緒ではないときでもはずかしい気持ちを現わしながら、でも挨拶してきます。

お母さんがいつもしていることを真似ているのです。

お母さんが掃除好きだと、子供はおままごとでも「さあ、お掃除しますよ」と掃除の真似ごとをします。

お母さんの当たり前の行動として掃除がインプットされているのです。

いつも整理整頓している姿を見て、自分のおもちゃは自分で片つける努力をします。

ただし、いいことだけを真似してくれればいいのですが、悪いことも上手に真似します。

荷物で手がふさがっているからと言って足で戸を開けたりすると、何気ない所で真似したりします。

お友達の家でそんなことをされたらたまりませんね。

おならをすれば真似をしますし、あくびをすれば真似をします。子供は真似真似が大好きです。

人の真似をするのは遊びの一環なのです。

家族で見てみると笑い方や話し方がそっくりになってくることがよくあります。

遺伝のせい?もあるかもしれませんが、もともとは幼いころに親のしぐさを真似ていたからかもしれませんよ。

あと、真似してほしくない例として、お母さん同士で学校の先生にあだ名をつけたり、呼び捨てにしたりしていませんか?

お子さんは遊びながらでもお母さんたちの話題に興味津々ですから、学校で先生を呼び捨てにしてるかもしれませんよ?

まさか?とお思いでしょうが、実はよくあることです。

他の人の噂話もよく聞いているので、その人とばったり会ったときに思い出して話されたらたまったものではありません。

子供が聞こえる範囲での噂話はご法度です。

横断歩道を渡らず、近いからと言って道路を縦断する子供を注意すると「だってお母さんも渡ってたもん」と返ってきます。

きっと「今だけね」と言って横断歩道がないところを渡ったのでしょうが、子供にとっては「いつも今だけ」とも取れますし、「親がやっているものはいいんだ」と思っても仕方がありません。

もちろん、「お母さん駄目だよ」と逆に注意してくれるおりこうさんもいそうです。子供に注意されたら素直にやめようと思えますね。

とにかく、子供は親のいいところも悪いところももれなく見ています。

本当に「いつ見ていたの?」と思うほどです。

そして必ずといっていいほど真似をします。いいも悪いも子供にとって親は鏡です。

「あれは私の真似だわ」とわかるような悪いことを子供がしたら、もう真似されないように反省して、自分を正しましょう。

何気ない言葉に注意!親の機嫌に揺れる子どもの心理

子供って忙しいときに限って話しかけてきたりしませんか?

そんなときついついこちらも考えなしに適当な返事をしてしまったりします。

何気ない一言であって親の方は気にも留めていないことでも、子供にとっては傷つく一言だったりするので注意しましょう。

忙しいときによく言ってしまうのが、「今は忙しいから後で」ですよね。

「後でっていつだろう?」子供はそう考えて、いつかわからないから黙っていると、そのまま言いたかったことを忘れてしまいます。

その後、その言いたかったことが重要なことだった場合「なんでちゃんと言わなかったの?」となり、子供にとってはますますどうしたらよかったのかわからなくなるのは当然で、ただ叱られたことしか心に残りません。

親の機嫌によって叱られたことは、矛盾していたり、子供にも理屈ではわからないことでしかないので、叱られた理由より叱られたという事実しか心に残りません。

これが続くと大人の機嫌を伺うようになり、なるべく怒られるようなきっかけを作りたくないので、あまりお話をしなくなります。

子供なりに「今はお母さん機嫌が悪いから、きっと何を言っても怒られる」と察知するのです。

違う場面で、成績優秀なお友達に比べて成績が上がらないわが子に言ってはいけないことの代表は「○○ちゃんと比べて全然できないね」です。

勉強のことではなくても、容姿に関することでも、何かを誰かと比較するようなことは決して言ってはいけません。

子供にとっては品定めされて選ばれ
なかったという悲しい気持ちになります。

「それでやる気になってくれればと思って」という人がいますが、子供にはなかなかその真意が伝わらないと思います。

もっと単純に「○○ちゃんの方がかわいいと思っているんだ」と考えてしまいそうではないですか?

その点、学校の先生は「○○ちゃんよりお手伝いしてくれてありがとう」なんて、誰かと比較してその子をほめる事はしないでしょう。

誰かと比べなくても、「本人ができたことをほめる」と思います。

子供と話すときは、どんなに忙しいときでも感情に左右されず、ブレない回答ができるように心がけましょう。

同じ質問でもその都度の回答がまちまちだと子供はどうしたらいいのかわからなくなります。

また、親は子供の鏡ですから、都合が悪いときなどに適当な対応をしていると、それでもいいことだと思い、大人になってからも同じような対応をしたり、自分の子供への対応がわからなくなります。

うちの子は大丈夫!と言う方も、ご自分のお子さんに試しに「お母さんが機嫌が悪いときはわかる?」「そのときどうする?」と聞いてみてください。

自分では気がつかないほど些細な機嫌の変化を子供はちゃんと察知しているのがわかると思います。

だって子供にとっては一番大好きなお母さんですから、どんなことでも気になっちゃうものです。

そんなかわいい存在の子供を何気なくであっても自ら傷つけないように、発する言葉には十分に気をつけましょう。

子育てと仕事は両立しない!ゆるゆるのススメ

共働きの場合、いつも子供にしてやれないことばかりを考えて、申し訳ないと思うことがあります。

仕事のため、学校から帰ってくるぐらいの時間帯に家にいることができず、または学童などに子供を預けているため、その他のお友達と自由に遊ばせることができないとか、手作りのお菓子を作ってやることもなかなかできない。

または宿題や勉強をじっくり一緒に見てあげる時間がとれない、学校の授業参観に行くことができないなど、働いていることによってできないことばかりが目につきしても仕方がないけれど反省ばかりします。

専業主婦の親とつい比べてしまい、自分の子供を不憫に思うことがあるでしょう。

ですが、果たして当の子供は自分は不憫だと思っているのでしょうか?

よく「子育てと仕事の両立」と言う言葉を耳にしますが、私はこの両立はありえないと思います。

子育てをするために働いているのですから、これらはもともと別のものではないと思うからです。

仕事は子供を育てる手段のうちのひとつなのですから、もとは一緒だと考えます。

「両立」となると、どちらも完璧にこなしていかないといけない気がします。

ですが、もとが同じものだと思えば二つしないといけないことがひとつになり、気持ちが楽になります。

また、親も人間ですから失敗することも間違えることもあります。そんなときは子供に正直に謝りましょう。

子供自身もお母さんが一生懸命働いているから、自分でできることは自分でやろうと考えます。

仕事から帰宅するまでの間は親に頼ることができませんから、自分がしっかりしないといけなくなり、必然的に自分のことは自分でできるようになります。

カギっ子がしっかりものな訳はわかりますね。

また、こういった子供の場合、お母さんの役に立ちたいと思うので、親が留守の間に進んでお手伝いをするようです。

帰ってきたときにお母さんに褒められることで、自分は大切な存在なんだと自分の価値を感じることができます。

このように、働いている親が思うほど、子供自身は不憫だとかかわいそうだとかと思っていることは少なく、むしろ役に立ち、いい子でいることに喜びを感じていることもあります。

他人と比べて悲観しているのは親だけで、子供自身は大切にされていることがわかればそれで十分なのです。
ですから、「子育ても仕事もきちんとやらないといけない」と思い込む必要はありません。

それより、一日のうち少しの時間でもいいので、子供と今日あった出来事などについて話をする時間をもちましょう。

できれば膝の上に抱っこするなどスキ
ンシップをしながらがいいでしょう。

大切にされていることは関わる時間だけでわかるというものではありません。

毎日数分でもいいですし、お休みの日にでも構いません。

子供の話を聞いて、笑い、できたことを褒めてあげましょう。

失敗しても大丈夫です。親が気持ちに余裕を持つことで、子供にも余裕が生まれます。

気持ち的にはゆるゆるで子育て頑張りましょう。

親が入れない子供の世界を大切にしましょう

子供の様子がおかしいのでどうしたのか聞いてみると、「○○ちゃんに貸した鉛筆を返してくれていない」との返答でした。

あなたが親ならどうしますか?

そのおうちに電話して返してもらえるようにお母さんにお話ししますか?

そうするのが最短で確実な方法のようですが、お子さんに自分で解決する方法を教えてみてはいかがでしょう?

具体的には、お子さんがその○○ちゃんに「貸した鉛筆を返して」と言うだけです。

それでも、その「言うだけ」が難しいだろうと考えますか?

確かに、お子さんもお母さん経由で言いにくいことを言ってもらえれば、お任せで簡単ですよね。

でもそれでは自分で解決する力を養っていけません。

また、子供には大人にはわからない子供の世界があります。

なんでも親が解決に出てくるのでは対等に遊べないと感じます。

自分自身で鉛筆を返してもらうにはどうしたらいいかを考えることができなくてはいけません。

また、その方法を思いつかない場合にはじめて、親が「こうしてみたら?」と解決策を提案してみるのです。

勇気を出して「返して」と言ってみれば、お友達は案外返すことを忘れていただけで、あっさり解決し、お友達との仲も元通りになることでしょう。

これが、お母さんを経由した場合はどうでしょう。

「お宅のお子さんがうちの子供の鉛筆を返してくれなくて」、こんな失礼な言い方をしなかったとしても、自分の子供が鉛筆を取ったと疑われているのではないか?

思い素直に謝ったり対処できない大人もいますし、なによりその子供自身にどういうふうに伝わるかわかりませんよね。

自分の子供を大切に思うあまり、誰かを悪者にして伝えてしまうかもしれません。

子供にしてみれば返すのを忘れていたから明日返そうと思っていたのかもしれませんし、安易に親が介入すると事を大きくしてしまうことがありますから、なるべく、子供の世界のトラブルは子供同士で解決できるよう、親は手助けするのみにしましょう。

また、子供から友達同士のトラブルの原因や経緯を聴く場合は何度か繰り返し聞いて物事を整理しましょう。

子供は無意識のうちに自分側の、自分にとって有利な表現をすることがあるからです。

相手側のお友達から同じ事件の話を聴くと言っていることが全く違っていることがあります。

自分の子供の言い分だけを聴いて解決しようとすると親同士も余計なトラブルになることが多々ありますので気をつけましょう。

いつまでも護衛のように親がついて守っていくわけにはいきません。

また、子供が成長するにつれ、子供の世界に親が介入することを子ども自身が嫌がるようになります。

それは親が入ることによって子供の世界が壊れてしまうことを恐れているからです。

子供たちの中であっても、大人同様に信頼関係を築くのは時間がかかります。

子供たちが大切にしてきた世界を壊す可能性がある原因を親が作るのは避けましょう。

そして問題があれば、なるべく子供自身で解決する能力を高めましょう。

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